川添愛『精霊の箱』感想
久々にきっちり本を読んだ気がするので感想的なものとかを置いておきます.
概要
川添愛『精霊の箱(上・下巻)』(東京大学出版会)は2013年刊行の同作者の『白と黒のとびら』の続編です.僕が大学入りたての頃に前作を読んで刺激を受けた記憶があるのですが,この辺りのことは頭痛がするので触れないでおきます.
『白と黒のとびら』はオートマトンと形式言語がメインでチューリングマシンのさわりまで,『精霊の箱』はチューリングマシンとそれによる計算,といった部分を取り扱っており,それらをハイファンタジー世界における遺跡・古代言語・呪文・…といったガジェットに置き換えて解説するというかなり異色の入門書です.おおよその雰囲気はそれぞれ公開されている冒頭部分のPDFを見て頂けるとつかめるんじゃないかと思います.
書籍一覧・検索 » 白と黒のとびら - 東京大学出版会
書籍一覧・検索 » 精霊の箱 上 - 東京大学出版会
個人的にはこの本は素晴らしいのに構造的におすすめしにくいというのがあって,というのも「この本の~~が素晴らしい」と紹介しようとしても物語(清く正しいファンタジー冒険小説です)部分のネタバレに触れるわけにはいかず,かといって理論部分についても遺跡や古代言語の謎といった姿を借りて登場するそれらを主人公たる魔導師の弟子ガレット君(と読者)が解き明かしていく部分にこそカタルシスがあるので,どちらも詳しく触れづらいのです.後者についてはもしかしたら純粋な数学書でも「あの本のラストはファイブレーション定理の証明だよ」とか言われたらネタバレだと感じる人がいるのかもしれません.本当に?
とはいえ何も触れずに皆さん読んでみてくださいねという訳にはいかないので以下では多少のネタバレは辞さない方向で少し中身を紹介してみます.
感想
『精霊の箱』読了。上巻までの伏線や前作の内容が下巻で次々に解消・展開されていくのでとても気持ちよかった。特に各種呪文と登場する装置の関係が明らかにされる部分は白眉。
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月12日
(多少のネタバレだけど)後半の表象界に関する描写もよくて、表象の流れが白と黒の粒で表されるところなんかはぞっとしないと思ったけれど、最後に「表象界がすべてではない」という話が出てくるので溜飲が下がる思いだった。この辺りは標準的な科学哲学が現れているような気がする
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月12日
*1呪文とその効果の対応なんかも結構考えてみると面白くて、パリティビットの反転による「消音」の呪文は発想が素晴らしいし、ビット反転で運動量が「反転」するのも負数の表現を想起させる。2の補数ではないので同じ速さになるわけではないし、静止している物体に使うと…?とか考える余地があるけれど
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月12日
知識不足でわからなかったのは「燐光」の呪文の背景なのだけど、効果から察するに画像処理関係の操作だったりするのだろうかと考えてたりしていた
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月12日
ビルドゥングスロマンとしてはちょっとだけ不満で、全然しっかりしてなかったガレットくんが凄い短期間にきっちり勉強をするようになったので、しっかりしていない読者としては完全に置いていかれてしまって切なかった
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月12日
下手に返信扱いにすると引用する際に重複して表示されてしまうという学びがあります.
最後の不満点についてですが,ガレット君は前作までや『精霊の箱』の序盤までは結構親近感の湧くような怠惰気味(しかしやるときはやる)な子なんですが,色々とやむにやまれぬ事情があり,真面目に修行をすることを余儀なくされます.その時の語りが以下のようなものでして.
そして何よりも、僕はあまり余計なことを考えなくなった。今までは、「強い魔術師になるために、もっと手っ取り早い方法があるんじゃないか」とか、「有能な他人がいくらでもいるのに、『僕』が成長しようとすることに、どれほど意味があるのか」などという考えがよく頭に浮かび、目の前のことを続ける気力が失せていた。しかし今は、そんなことを考えている時間がない。「手っ取り早い方法」もあるのかもしれないが、自分が今知らない以上は、ないに等しい。
とても厳しく,実感のこもった良い文章です.全編にこのような魔術師=研究者を目指すにあたっての心構えのように受け止められる部分がちょくちょく登場するので,特に大学生の読者にとっては刺激を受ける部分が多いんじゃないかと思います.
不満だと書いたのは,ガレット君の上記のような精神面での成長がやや性急に感じられたからです.作中で色々なことがあった故というのは分かるのですが,何分非常に読みやすく,サクサク進んでしまうのもそう思ってしまう一因かもしれません.あるいは自分自身を例にして怠惰な人間は怠惰なまま長いこと成長できないことを知っているので妬んでいるという説も有力です.いずれにしろ特に気にするほどでもないことを断っておきたいと思います。
また,今回続編であるところの今作を読むにあたって『白と黒のとびら』の方を数年振りに再読したのですが,持っている知識が増えたためか理論部分も余すことなく堪能することができました.
白と黒の方(検索避け)読んでしまった…… 前読んだのは刊行当時で、真の1年生だったから読み飛ばした部分が多かったことに気付いた。統語解析まできっちり盛り込まれてて本当に恐れ入った
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月7日
また、きっちり読み直すと次作『精霊の〜』のキャッチコピーが既に登場していたりして面白い。中間試験が終わったら次の上下巻に取り掛かろう…
— meta / youdie (@meta9D4N) 2016年11月7日
キャッチコピーと言っているのは『精霊の箱』上巻の帯の推薦文「人は土壇場のぎりぎりのところで何を選択するのか。」という浅井健一氏*2のものです.このフレーズは『白と黒のとびら』で重要な役割を果たしますが,それ以上に『精霊の箱』の最終決戦の結末においてもとても意義深いものになってきます.ガレット君だけでなく敵方を含めた登場人物全員の選択とその結末について考えてみると面白いかと思われます.
こういうイベントがあります
『精霊の箱 上・下』刊行記念 川添愛先生講演&サイン会 - 書泉/東京・秋葉原
本当はもう少し突っ込んだこと(呪文と装置の関係,その現実的な意味とか)を書こうとしていたんですが,時間がないのでとりあえず感想だけ上げておきます.
今日の講演会に参加して,また何かあったら関連した記事を書いてみたいと思います.
最後に,とても真摯にこれらの本の内容を紹介していらっしゃる記事を見つけたので紹介しておきます.
数学的原理に裏打ちされたファンタジー小説──『精霊の箱: チューリングマシンをめぐる冒険』 - 基本読書
まとまりませんがここら辺で.